匿名F氏の野望ブログ

Fによるブログ。

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18歳未満の閲覧を固く禁止します。
ここには とても こわいことが かいてあるので こどもが みては いけません。

筋(スジ)というものの絡み合い

 登場人物が時間の経過と周囲との関係により変化していく様々を考える。

 物語のなかでの原始状態からの動機と目的、それがミッドポイントで変化しクライマックスを迎え、終焉するまで。

 大枠として物語に一つと、各人物にひとつずつ。

 

 このあたりは悩ましい。

一話の分量の目算を変更し、構成の後半を手がける

 昔の漫画指南書では応募原稿というのは八の倍数でページ数を設定しなければいけなかったので、今も変わらないだろうと思って一話当たりのページ数を十六に設定して、全十話の百六十ページにしていたのだが、描こうとしているエピソードやシーンを考えると全然足りないことがわかってきた。

 それでネットで無償公開されている既刊本のなかから目次まで見れるものを数冊あたってみると下表のように大体二十一、二ページで一話構成となっているようなので僕も一話当たりのページ数を見直すことにした。

作品A 作品B
ノンブル ページ数 ノンブル ページ数
1   4  
27 26 25 21
49 22 45 20
68 19 65 20
89 21 85 20
109 20 104 19
129 20 125 21
149 20 144 19
169 20 165 21
190 21 185 20
189 21 181 20.111
21   20.111  

 本当は話数を増やしたいのだけれど、それをやると色々な意味で希望を失うので話数はそのままで一話あたりに盛り込む内容を多くするしかない。

 

 で、後半の構成をやろうとしたのだがここ数日に持ち上がった電話にまつわるトラブルを解消するため携帯キャリアで朝から二時間近く時間をとられ、そのあと実家からの電話で一時間以上通話してヘトヘトになってしまい、あまり進まなかった。

 携帯キャリアは昨日も三時間近く機体の解析(結局できなかった)に時間を要したので、ほとんど半日無駄に時間を奪われた形になる。

 こんなんだったら、昔の黒電話と電報の方がよっぽどマシである。

 いくらなんでもそれは無いだろうと思われるかもしれないが、絶対に交通できることが保証されているインフラの例外に放り出されると、放り出された自分の方が周囲から問題視されてしまうので大変なのである。

 近い将来、人類は計算機技術を放棄する日がくるだろう。なぜなら面倒くさいからである。

愛憎の日本文化

 さる質問サイトに寄せられた「文化を破壊するものはなんですか」への答えとして「文化の発生にはブルジョアの庇護が必須なので、文化を破壊するのは常に左翼である」みたいな回答を文化大革命やらなんやらを持ち出してしたり顔で回答している人がいた。

 この人にすれば歌舞伎とか浮世絵、そしてほとんどすべての文学作品なんかは文化ではないのだろう。

 映画「レオン」で世間ずれした殺し屋は仕事を仲介するエージェントにいつも後払いだと丸め込まれて報酬をだまし取られているが、あのゴッホも生前からさる覆面ブルジョア貴族に多額の報酬を約束されて農夫とかひまわりの絵を描きまくっていたが、そろそろカネを寄越せとうるさくなり始めたので、拳銃少年を差し向けて片付けたというのが実は最近わかった事実ですと言ってもこの人なら信じるだろうな。(マジでゴッホ殺人事件とかどうだろう。兄の不自然な行動から弟のテオは覆面貴族の殺害計画を知り、自ら特殊な人体強化剤を開発し、それを貴族の目を欺くために絵の具と見せかけたチューブに詰めて兄貴に渡すが、兄貴は耳にだけそれを塗り忘れてしまいナイフで耳たぶを切りとられてそこから弾丸を頭部に撃ち込まれてしまう。ゴッホが片思いしていた彼女は義侠心から仕方なく仇をとらんとして全身にその強化剤を塗り遺留品の拳銃片手に覆面貴族の城に乗り込むが、そこで二百二十号サイズの巨大な額に入ったゴッホの筆による自分のヌードが寝室に掲げられているのを目にし…やっぱダメだな。俺もパトロンほしい)

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 舞台で客席から向かって左の下手といわれる方向から「てーへんだ」と駆け込んでくるのは、人間の心臓は左にあるので…そうしてそれは漫画のページ進行にも共通していて…みたいなのを読んだことがあって、これを成立させるためには(台詞が)縦書きでなければならない…。

 という今回も全然うろ覚えの引用で申し訳ないが、どこかで読んだこの理論に私は非常に納得し、だから私は横書きで漫画を描くということになった場合は抜本的に漫画の文法を変更しなければならない派なのですが、需要のありかを考えるに不利ですよね。

 

 さて、ストーリーシートを書くときに左から右に時間を進めるか、右から左に時間を進めるか問題が僕(さっきまで私と言っていた一人称の表記が一つの文章の中で揺れているのは小生にとっては意味のある決定なのです)の中にあって、草稿メモはパソコンで作っているからおのずから横書きになって、だから右に向かって話が進んでいくべきなのですが、前述のように本番では左に向かってページをめくるのでファイナルイメージから考えると右から進んでいくのが正道とも言えます。

 ただ、これまであまりにも欧米文化圏かぶれの仕事(たいていの会社の業務はこれ)になじんできたので横長のフォームで右から左にすすむというのは生理的にどうも…。

 結局どっちなんだよと言うところですね。

 全体の位置関係を、ちょうどデッサンを確認するときみたいに左右反転しても、文字自体は反転しないで読めるようなソフトがあればいいのですが、そんなニーズの乏しいものはだれも作らないだろうな。

 さて、作業に入る。

三幕構成と葛藤要素について考える

 うろ覚えの引用なので正確でないですが、鴻上尚史さんによれば物語の類型というのは「失われたものを取り戻す」と「どこかへ行って帰ってくる」の二パターンしかないらしいです。

 いやいや、物語の類型で調べるともっとたくさん出てくるよと仰られるでしょうが、その他大勢のパターンも大体は死地からの帰還であったり、宝物の取得であったりしてその方向性が往復か片道かの違いはあれど結局はここに帰着すると思うのです。

 主題について今日は色々考えたのですが、それはまたそのうちに。

〽むかしむかし浦島は助けたグレイに攫われて

 二十数年ぶりに出版社に原稿を持ち込む。

 実は今日行った出版社は学生の頃に一度持ち込みをしているので、三十年前に一度来ているのだが、当時は道に迷った記憶がないのに今回はGoogleマップを頼りに歩いたのに反対に歩いてしまい、遅刻しそうになり慌ててタクシーに乗って見覚えのある(うそ、本当は全然覚えていない)社屋に入った。

 初めて行った当時は景気が良かったので、僕のゴミのような原稿を見るためにわざわざ喫茶店に連れていってくれてサンドイッチをごちそうになったのだが、今回はなかった。(悪口言ってすみません)

 編集の方はすごく気を使って、オブラートに包んで遠まわしに言ってくださったのですが結論的に絵が下手すぎるのと、齢をとりすぎているのでまるでダメで今後の見込みも無いらしい。

 と、いうと残酷な言い渡しのように聞こえるが、こちらの方が恐縮するほど申し訳なさそうに仰るので、忙しいであろうその方に悪いことをしているような気になる。

 まあ、親子ほども齢がはなれているので編集さんも辛いのであろう。ちなみに前回は親子関係が逆だった。

 三十年も一体何をしていたのだと、普通の人なら思うところもあるのだろうが、僕は自分が永久に成長しないタイプの人間だと最近分かったので、さもありなんといったところで、いわば光速でその辺の銀河を一周して戻って来た感覚である。

 また、その編集さんはすごく親切に今後創作をしていく上での参考文献を紹介してくださり、Web上に投稿することを勧められたので、早速ご紹介の本をアマゾンに注文し、Pixivではない漫画サイトに初めて会員になり投稿する。

 (ここでそれを紹介すると正体がばれるので出来ないのが残念である)

 色々とありがたい一日になった。

 感謝したい。

タイアップを始めたわけではありません

 まもなくこのブログに広告が入り始めると思いますが、アフェリに僕が目覚めたわけではなく、はてなブログPROの課金積み立てが切れたということなので勘弁してください。

 まあタダでサーバーを利用させていただくことになるわけで、営利とまでは行かなくても間接的なタイアップとは言えるかもしれませんが…。

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 プロットを整理する作業を行うためにシート状の簡易ホワイトボードを貼った記事を先日書いたけれど、その貼付作業と筆記スペースを空けるために元はそこにあったガラクタを周囲にもともとあったガラクタの上に重ねて積み上げていたのが、今日の未明に大音響とともに崩れ落ちた。

 眠っている自分の身体と反対側に崩れたのであるが、一つ間違えば大けがをしていたところである。

 ありがたいと感謝する。

 また、このところ僕の住むマンションでは特定の住人(だれかはわからない、自分かもしれない)による騒音に対する注意の掲示が出ていることもあり、近隣の方には申し訳ないと思う。