匿名F氏の野望ブログ

Fによるブログ。

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ここには とても こわいことが かいてあるので こどもが みては いけません。

行間には何も書いてありません。何も書かれていないものをどうやって読めというのですか。

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 ツイッターの方を見てみると意外にも「真心の発言」派が「心ない皮肉」派に拮抗していて驚いた。

 よく入試問題の表紙に「問題文は書かれている通りに解釈して、その場の試験監督には尋ねるな」という意味の一文が入っているけれど、それと同じように生身の発言も完全に字義通りとらえる人がここまで多いと、こちらにはもう勝ち目がないと思う。

憲法第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 憲法に書かれている理想は常に守られるのですね、今日はよい勉強になりました。

 みたいに言っても何を言っているのかそういう人たちにはわからないであろう。

 

 話は広がるけれど、ラノベの表紙糾弾の件にしても、どれだけ言っても結局のところ信者さんには何も通じないと思うし、少なくとも投票行動に影響のある動員数に於いては向こうの方が圧倒的に有利なのだろうから、そのうちラノベは規制されてもこういう人の作った汚い紙の束は売れ続けるのだろう。

 残念である。

 

 さて、各話ごとにおおむねの構成を考えはじめる。

あの高く白い嶺へ

 本作製作に於いて包括的な情報集約を行うホワイトボードシートを部屋の壁に貼る。

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 こうして写真で見るとただの白と灰色のグラデーションである。

 しかし、ここに至るまではしわくちゃのぐちゃぐちゃだった時期があり、その時はもう買いなおしだろうと思っていた。

 こういうシートものを貼る鉄則として、接着前の段階で左右からシートにテンションを掛けて空中でピンと張らねばならないのだが、なにしろ部屋がぐちゃぐちゃ状態なのでシートが貼られる予定個所の両端ともモノを最後までどけることができず、モノと壁の間に手を突っ込んで貼るようになることを承知の上で決行したのが当然に災いして丸めて広げた新聞紙のような有様で壁にべったり付いてしまった。

 まるで巨大なスマフォシートを扱っている気分だ。しかもこのシートはペラペラの上にものすごい粘着性が強いのだ。

 作品の失敗をすでに暗示するかのような出来事に絶望と怒りが込みあがる。

 何度も剥がすと再接着しないと説明書には警告があったが、しわくちゃの面に何を書いても情けないだけなので半分だけ全部剥がして貼りなおしたらうまくいった。(矛盾した表現だが、完全に半分捲ったと考えてください)これに気を取り直し、もう半分も同じようにしてやりなおしたのが前掲の写真というわけである。

 時間がたつと剥がれてくる心配が貼りなおした以上はついてまわるが、その前に完成するよう頑張りたい。

 

 

 とりあえず明日からはアイディアをプロットに盛り込み、それで判明した足りない部分のアイディアをさらに絞りだす作業を繰り返していきたいと思う。

 

 それにしてもこの前わずか十六ページを死ぬ思いで描いた人間が百六十ページのストーリーを構成するというのはタイヤ公園の恐竜から冬のアイガー北壁にいきなり取り付くようなものだなと、眼前に立ちふさがる巨大な白い壁を前に思う。

再び無能とそして今日は無能者との恋愛を考える。ただしお話の世界の中で。

 全く絵というものを描かなくなったので、昔に貼ったものを再掲して賑やかしにする。

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昔の絵

 さるパーティーでの作家募集の掲示を酔って潰した僕の落書き。

 すみません…。

 それはそうと「ママさん」だから「バレー」にしたけど、これって死語なんでしょうね。

 そもそも経産婦でないと参加できないという規則自体が今となってはヤバいでしょう。

 結婚も出産もしたことないからわからんけど。

 

 さて、いつものシェアオフィスに来たが今日はほとんど進まなかった。

 帰ったら件のホワイトボードをしつらえれるように片付けの続きをしなければならない。

 こんなんだったら家にいれば良かった。

 本当に一日はあっという間だった。

 

 さて、無能は全方位的かつ全時刻的に無能であるのが本当の無能であるが、その無能に恋愛というものは可能であろうか。

 大体の娯楽ものは最後か最後のチョイ前くらいにヒーローとヒロインがいい仲になるのが定番だけれども、今回の話は奇を衒(てら)ってアンチハーレムものなので初めからそれはナシにしようと思っていたが、何となく僕の頭の中のヒロインは、彼女が初対面で蛇蝎のごとく嫌ったこのどうしようもない主人公と仲良くなりかけているようなので、彼女の気の向くままにさせようかと思ったりもしている。

 とはいえ本当に話に恋愛を持ち込んでしまうと底流のテーマというかポリシーが破綻するので、せいぜい「好きになるかも」くらいの寸止めなんだけれどね。

 こうして考えている間はそれなりに楽しい時間ではあるけれど、実際にコマ割りをして台詞やポーズを割り振って背景と大小の道具を配置する作業は言ってみればある種の苦行である。口では作業と言ってもすべてが決まっている手順の再現では当然ないので行きつ戻りつの試行錯誤地獄ですらある。

 出来る限りのことはやっていきたいと思っているが、そろそろ「これをやって今さら何になるのか」という迷いの前に引退の二文字が眼前に浮かび上がってきている。

 本作も当初はペン入れから仕上げまでも行う気合であったが、年齢的な体力の衰えを鑑みネームをもって完成とする予定に切り替えたので、仮にこの先これを完成できたとしてもフィニッシングワークがあっての漫画製作という観点ではすでに僕は筆を置いているとも言える。

 何の成果もあげられなくても未練と執念から一生続けて行くだろうと読んでいたこの業行も案外するりと掌(たなごころ)から消え去り、残照の虚空で自ら印を結ぶを待つのかもしれない。

 まだ分からんけどね。

疲労が極に達している

 水曜日に会社で社員研修があり、一日グループで討論をした。

 帰ってから缶ビールを二本飲んだら気分が悪くなり、二日後の今日になっても頭痛と倦怠感が抜けない。

 研修自体は話しやすい方々との組になり、これは僕としては非常に珍しいケースなのだがむしろ充実していたくらいである。

 これまでこうしたワークショップ系の研修は親会社に出向き、親会社と兄弟会社の方々と無理やり会話をせねばならないものであったため、会話の作りこみからくる自己嫌悪と後味の悪さばかりが記憶に残るつらいものだった。

 今回はそんなに疲れていなかったのだから、おとなしく酒など飲まず寝ればよかったのだがいつもの気分の切り分けの誘惑に負けたのが良くなかった。

 あと雑感として、研修はまず管理職から先に実施され、そのあと平社員がだいたいの年齢で日を分けて行われるので、僕が参加した日に参加しているたいていの参加者はほぼ管理職登用の見込みのなくなった退職まで数えるほどの年数しか残っていない社員ということになるのだが、やはりそういうカテゴリーの集団ということになるとボードに貼り出す体験メモにしてもスピーチ発表にしても何か拭えない暗さのようなものを感じる。

 だから僕にとっては誰の話も自然に腹に収まるのだが、会社としては「俺はこうやって成功体験をモノにしたぜっ」みたいな話の方がいいのだろうし、実際そういうモチベーションでやってきた人が偉くなっていくのだろう。

 

 そんなわけで、ほとんど元気はないが原稿(応募はネームでする予定)を進めなければならない。

 しかし、液タブを置いている机の周囲のガラクタをどうしても片付けることができず、椅子に座れない為この数週間まったく絵を描いていない。

 キャラの絵というのはストーリと相まって車の両輪のようなもので、これを詰めることが出来ないのは製作に影響する。

 だから、部屋を整理する気力がもどらないのは案外深刻な問題で大変困っている。

(より正確に言えば気力がもどらない自己状態が問題なのである)

 また今回は百六十ページのこれまで経験のない長編で、壁に大きなホワイトボードをしつらえてそれでプロットコントロールを行うつもりなので、そのスペースも捻出しなければならない。

 はじめ、この作業を行えるレベルにまで積みあがった諸物に手を入れるのは無理だろうと思い、旅館などを探していたが適当な宿が見つからず、また慣れない他人の屋根の下で果たして落ち着いて考えをまとめられるかどうかわからないためやめることにした。

 しかし部屋の壁までのアクセスがついに確保できなければ合宿敢行となる可能性は残っている。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 誕生祝の花を送った母からはその後普通に謝意のメールが来たので、肝心の日を間違えてはいなかったようだ。

 よかった。

所謂ダメさ加減について

 災害がおきて自衛隊が派遣されるたびに赤飯の缶詰が廃止された話が蒸し返される。

 僕は被災地で赤飯が存在することに怒った人の存在も、自衛隊の食糧から赤飯の缶詰が廃止になった事も、廃止になったとしてそういう出来事が原因だったのかなど全く裏付けを持っていないけれど、「ああ、またいつものように間(あいだ)を抜いた末端同士の構図になった」と思う。

 赤飯の缶詰を被災地で食べていた事が問題化したにせよ、被災者に配ったことによって怒りを買ったにせよ、どちらも末端の隊員がどうこうできる話ではなく、そうした配給体制をコントロールしていた部門の問題である。

 だから事前に対策すべきであったし、緊急時でそれができなかったのであればそのようにきちんと説明して一般隊員の待遇の側は確保するよう努力するというのが自衛隊という組織としてのあるべき本筋ではないだろうか。

 (完全な悪口だが、釈明をすればかえって文句を言う奴を呼び寄せるだけだという判断よりも、可哀そうな一般隊員とクレーマー国民という図式を故意に放置し演出しているように思える)

 さらに、本来は隊員の行軍食として存在するものをもしも被災地の救援物資として配給せざるを得ない状況ということであったならば、そもそも自衛隊がどうのという遥か以前に国策のありようとして失格ではないだろうか。

 いよいよ軍事行動(こういう言葉は使いたくないが)ということになって、侵攻を受けた地区の民間人と反攻する政府側の部隊で食料が共有されているなんて戦闘前から敗けているようなものじゃないだろうか。

 まあ、単に自衛隊側で可動の余剰があったという話なのかもしれないが、それでも災害時の救援物資が遠方から運ばれてくるまでいつも毎回不足するというのは国のありようとして変だと思う。

 こちらも蒸し返して申し訳ないが、原発の事故で困っている人と、原発をやってほしくない人と、原発をやってほしい人とが三つ巴に平場でとっくみあっているというのも、いつものようにうまく逃げおおせた大型の敵がいて、赤飯論争と同じような構図のようにも思える。

 

 さて、表題の人間のダメさ加減について考える。

 前掲の話題とはなんの関係もない。次の話の主人公の性格付けの話である。

 主人公は完全な無能で「努力」「友情」「勝利」と無縁の非少年ジャンプ的な人間である。

 こんな線で行こうと思って色々考えた。

 つかれたのでもう風呂に入って寝ようと思う。

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 あと先日、母の誕生日に生まれて初めて花を送った。(別居なので「贈」れない)

 僕は母の事を偏愛しているが、誕生日と年齢を記憶することができない。

 だから今までは日付が決まっていてどこででも宣伝されている母の日に送ってお茶を濁していた。

 今回は戸籍謄本をもとにGoogleカレンダーに記録してあったのをもとに贈る日を決めたので確度は高いと思う。

 僕もまたダメな人間なのである。