災害がおきて自衛隊が派遣されるたびに赤飯の缶詰が廃止された話が蒸し返される。
僕は被災地で赤飯が存在することに怒った人の存在も、自衛隊の食糧から赤飯の缶詰が廃止になった事も、廃止になったとしてそういう出来事が原因だったのかなど全く裏付けを持っていないけれど、「ああ、またいつものように間(あいだ)を抜いた末端同士の構図になった」と思う。
赤飯の缶詰を被災地で食べていた事が問題化したにせよ、被災者に配ったことによって怒りを買ったにせよ、どちらも末端の隊員がどうこうできる話ではなく、そうした配給体制をコントロールしていた部門の問題である。
だから事前に対策すべきであったし、緊急時でそれができなかったのであればそのようにきちんと説明して一般隊員の待遇の側は確保するよう努力するというのが自衛隊という組織としてのあるべき本筋ではないだろうか。
(完全な悪口だが、釈明をすればかえって文句を言う奴を呼び寄せるだけだという判断よりも、可哀そうな一般隊員とクレーマー国民という図式を故意に放置し演出しているように思える)
さらに、本来は隊員の行軍食として存在するものをもしも被災地の救援物資として配給せざるを得ない状況ということであったならば、そもそも自衛隊がどうのという遥か以前に国策のありようとして失格ではないだろうか。
いよいよ軍事行動(こういう言葉は使いたくないが)ということになって、侵攻を受けた地区の民間人と反攻する政府側の部隊で食料が共有されているなんて戦闘前から敗けているようなものじゃないだろうか。
まあ、単に自衛隊側で可動の余剰があったという話なのかもしれないが、それでも災害時の救援物資が遠方から運ばれてくるまでいつも毎回不足するというのは国のありようとして変だと思う。
こちらも蒸し返して申し訳ないが、原発の事故で困っている人と、原発をやってほしくない人と、原発をやってほしい人とが三つ巴に平場でとっくみあっているというのも、いつものようにうまく逃げおおせた大型の敵がいて、赤飯論争と同じような構図のようにも思える。
さて、表題の人間のダメさ加減について考える。
前掲の話題とはなんの関係もない。次の話の主人公の性格付けの話である。
主人公は完全な無能で「努力」「友情」「勝利」と無縁の非少年ジャンプ的な人間である。
こんな線で行こうと思って色々考えた。
つかれたのでもう風呂に入って寝ようと思う。
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あと先日、母の誕生日に生まれて初めて花を送った。(別居なので「贈」れない)
僕は母の事を偏愛しているが、誕生日と年齢を記憶することができない。
だから今までは日付が決まっていてどこででも宣伝されている母の日に送ってお茶を濁していた。
今回は戸籍謄本をもとにGoogleカレンダーに記録してあったのをもとに贈る日を決めたので確度は高いと思う。
僕もまたダメな人間なのである。