主張や世界がよく似た人から誤解を受けるのは大変つらいけれど、結論から言うと萌え絵のようなものを市中に展示し始めたことは間違いだったと思う。
たぶん今から十年以上は前に駅広告とか街頭に今でいう萌え絵的なアニメやゲームのキャラが掲げられ始めた時に僕は「これはやったらだめだろう」と思っていて、今それが現実になりつつあるからだ。
当時、僕がなぜ「だめ」だと思ったかと言うと、率直に言ってそれが「おかず」だったからで、どちらかというと古典的な道徳観に照らして嫌悪していただけなのかもしれないが、一方で今日の余計な横槍を予感していて、それが現実になったというわけだ。
これについてはそのうちに、二次元や街頭の性的表現に嫌悪している人の背景や内面にも踏み込んで考えを述べたいと思っているが、結局今回のタイトル通り両者の分かり合いはほとんど不可能だと思っている。
それはそうと、表現に携わっているプロの中にも一部、現実にないラインやフォルムを描画するのは作家の良心や技量に問題があるかのような言説を唱え始める人が出てきて、表現の自由(陳腐な表現だけれど、まさにこの言葉通り)がデフォルメや潜在的なエロスといった二次元の根本価値観からじわじわと内部の人間が侵食し始めていることに僕は大きな危機感を抱かずにはいられない。
何事かを世間から排除することが自らに課せられた正義と妄想する人たちが一定数以上いる以上、もう後には引けないのだ。