遠いが、こことは別の街があって、その街が良い所である事が間違いないとしたらあなたはどうするだろう。
そこの場所が分かっていてそこまで歩いていく自信があるのなら、長い道のりも辛くない。
もしも、歩いていく自信はないけれどバスが出ていて、それに乗るお金があればバスで行けばいい。
でももしも、そのバスが護送車みたいに窓が無くて、おまけに外から鍵を掛けられてどこを走っているのか、誰が運転しているのかわからないバスだったとしたらどうだろう。
多分、乗っているうちに不安と疑いの心が大きくなっていくだろう。
実際に難民や敗戦後の引揚げで悪徳のブローカーが金だけとって、出鱈目な事をしたという話はよく聞くから、無力な者にとっては空想だけの話ではない。
そうは言っても、年を取ると自分でできる事の数がどんどん狭まって行って、それでもまあ今まで働いた貯えが少しあるから、それを使って他人に任せて凌いでいる状況が多くなる。
ちょうど陽の光が入らない理想郷ゆきのバスで揺られているように。
それでも、まだ目標を持ち続けていれば降ろされたところが酷い所だったとしても、また別のバスを探してアタックすれば絶望という蟻地獄に落ちなくてもすむ。
でも、やっぱり一番最後には本当に光の無い闇の向こうの、全く何かわからない世界へ行かなければならない。
今の毎日はその縮図なのかもしれない。
今日はお世話になったかつての上司に年賀状を書いた。
僕が何通か書く年賀状の中で真心で出している(というかすべての通信を行っている)のはこの方お一人だけである。コミュ力なんて言葉があってそれに悩んでいる人も多いけれど、全く友達のいない自分からすると職業的なやり取りができない事なんて大したことではないように思う。
実は「年賀状を買う」という行為を今年二回している。
一回目も二回目もコンビニで買ったのだが、一回目の時は外国から来ている店員さんが年賀状の見本をレジで交換するというシステムがどうしても理解できなくて、誰にでも親切にすることを信条にしている(もちろんこれはまともな人間関係ができない自分への皮肉である)僕は何度も何度もその店員さんに「これはハガキという有償の商品を交換するためのもので…」と説明したが店員さんは理解ができなくて、店員さんは何度も何度も同じフロアにいる店長を呼んだが店長はレジに来ず、時間だけが流れた。
その時、僕は後ろに別のお客さんが並んでいることに気づいていたが、休みの日であったり大して急いでいないだろうと高をくくっていたのだが、じつはそのお客さんはどうも仕事の合間にコンビニに買い物に来ていた様であった。
ようやく店長が来て僕の対応を始めたので、後ろのお客さんは僕と入れ替わる形になった。
そして、そのお客さんはすれ違いざま僕の肩を小突き、鬼のような顔をして僕に怒鳴った。
「外人の店員にそんな難しい事を言っても判るわけ無いだろう、バカ」
僕は小突かれたと言っても、まあちょっと強く触られた程度だし、まあいいかとそのお客さんを愛想笑いでやり過ごして店長に精算してもらってコンビニを出たのだが、家に帰る途中で歩きながらふと「バカ」と言う言葉が頭をよぎった。
手に入れる時に「バカ」と言われたそれに「おめでとう」と書いて、親しかろうが親しくなかろうが年の始めにその人のもとへ送るのに僕は家が近づくにつれ、堪えられなくなってきた。
僕は家のクズカゴにそれを捨てて、新しく別の店で買いなおそうかと思ったが、そうすると今度は金銭的に損をした記憶だけが残る事になりそれも嫌だった。
結局、一度帰宅してからそのコンビニに引き返して店長にレシートを見せ事情を話し返金してもらった。
で、その後返金に至るまでのプロセスだが、職業的にも人間関係的にも無能な僕が言う資格はないのかもしれないが、困った外人の店員さんが何度呼んでもレジに応援に来なかった店長は、おそらく就職してまだ間がないくらいの年齢だったけれど、仕事なんかやる前にもっと学ぶべき事があるだろうと思ったほど幼稚な対応だった。
僕もかつては、そして今もそうなのだが…。
今日書いたのは、その数日後に別のコンビニで日本人の店員から買った二回目の年賀状である。
ちなみに五十歳の異名は中老というらしい。
年を取り、世を恨み人を蔑み、心身は老いていく。
すでに初老ですらないのだ。